トゥイッターは他人の自意識とカルマの泥沼という感じがあって、ダイブしすぎるとそこからぬけだせなくなりそうな恐ろしさがあるけれど、モジャケンイチローがトゥイッターの使い方についてつぶやいてる、
は、twitterの何かの役にたつ道具としての側面に注目させる内容だった。
あと、以前の情報だけれど嶽本野ばらのこのつぶやきにも興味をひかれた。
なんでそんなに大変なことをするのか? それはツイッターを日記文学として考えているからである。ブログは文学のツールとして使えないが、ツイッターは文学になる自立進化の可能性を持っている。
— 嶽本野ばらさん (@MILKPUNKSEX) 8月 11, 2010
日記文学に於ける時間の観念。とかいいだすと、面倒だけど、ライヴとして進行していく参加型文学。それがこれであり、そういうことに僕は君を巻き込んでいるのだ。
— 嶽本野ばらさん (@MILKPUNKSEX) 8月 11, 2010
これはむしろ自意識とカルマの泥沼が文学になるということなのかもしれない。