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レビュー: 山下泰平「忘れられた物語—講談速記本の発見 第3章豪傑の誕生 その1」『熱風』(2012年、2月号)

 山下泰平「忘れられた物語—講談速記本の発見 第3章豪傑の誕生 その1」『熱風』(2012年、2月号、スタジオジブリ)をようやく手にいれることができ、おもしろくよめたので紹介したい。

 この連載も三回目になり、いよいよ「豪傑」が登場する。かつて、コトリコさん(=山下泰平さん)がツイッターであつくかたられていた存在である。今回はそのなかでも、伝説上の剣豪として複数の講談に登場する岩見重太郎の人物像が講談のなかでどのように形成されていったのかを、明治24年から44年の間に出版された14作品をとおして考察している。

 岩見重太郎はいまでこそ忘れ去られてしまっているが、講談速記本の全盛期である明治中頃から終わりにかけて、多くの武勇伝が出版され、ラジオドラマや映画にもなった伝説上の人物であるという。

 また、岩見重太郎が注目される点は、語り直されることによって新しいタイプの豪傑に生まれ変わっていったところにあるという。

 そもそも豪傑のキャラクターというのは、弁慶や金太郎に代表される「礼儀正しくとても強い人」であるらしい、一方、岩見重太郎は完全無欠な存在としての豪傑から、成長する存在としての豪傑として、その人物像が変化していったのだそうだ。たとえば、岩見重太郎は「長期間、母親の胎内にいる」「動物を腕力で従える」「山に隠遁する老人の弟子となり、やがて武術の極意を授かる」「実力を隠して、あえて馬鹿な行動をとる」といった豪傑の人物造詣のお約束をまもりつつも、「修行の当初に木の枝に吊してある棒と格闘して負ける」といった未熟な部分もみせる。

 たしかに、(うろおぼえなのだが、)斎藤環氏が『キャラクターの精神分析』という著書のなかで、キャラは父の名前(名字)をもたず、成長しない点においてキャラクターとは区別される、といったことをかかれていたような記憶がある。その意味においては、弁慶や金太郎が、生まれながらにしての豪傑であったり、「弁慶の泣き所」「内弁慶」や『金太郎』(物語のタイトル)「金太郎飴」というふうにファーストネームだけでの言語使用が可能であるところからこじつけて、キャラの次元に達しているようにおもわれる一方で、この忘れられた豪傑である岩見重太郎は成長し、またフルネームでなければすわりがわるい点において、キャラクターであるようにおもわれる(はたして、彼は『重太郎』とよばれて通用することもあったのだろうか)。

 さて、本文では岩見重太郎のキャラクターとしての変遷を、岩見重太郎の成長がどのように書き直されていったかにからめつつ、複数の講談速記本の記述を対照させながら考察している。この部分は実際の物語世界とコトリコさんによる解説の間をいったりきたりしながらエキサイティングに展開していくので現物を手にとって確認してほしいが、それ以外に、興味深かったこととして、講談師が本筋とは離れたところで語った次のようなことがらがあった。

  • 明治期に既に豪傑の超人的な活躍は荒唐無稽とみなされていたらしく、それに対する講談師による科学的な(?)申し開きが語りの冒頭でなされている。
  • 当時の講談師たちは当時人気がではじめていた浪花節や浪曲に嫉妬していたが、実は浪花節や浪曲が岩見重太郎伝の講談がはやるのに一役かっていた。
  • 当時の講談速記本は、読者の教養レベルにあわせて紹介する知識を取捨選択して供給していた。

 これも詳細はぜひ現物を手にとって確認してほしい